大人からの、エリーゼのために。

小学校高学年の頃、お友だちが学校にあるグランドピアノで、ベートーベンの「エリーゼのために」を弾いてくれました。その時に、あまりにも美しく切ない旋律に、また、ピアノだからこそ奏でられる響きに、私は一瞬で心奪われました。

私は3歳からエレクトーンを習っていて、はじめの頃からずっとピアノに転向したいと思っていました。でも、最初のエレクトーンの先生が母の知り合いで、またその次のエレクトーンの先生がとてもいい人で、母と仲も良く・・・、とてもじゃないけれどピアノに転向とは言いだせない雰囲気がありました。

エレクトーンはエレクトーンで楽しかったんです。何と言っても両手両足を使う楽器ですから、楽譜も三段となかなか複雑で、おそらく子どもの脳の発達には良かったと思うんです。楽器にもたくさんのボタンや機能があって、リズムをプログラミングしたり、録音したメロディーを流してそこに演奏を重ねる・・・なんて言うことも出来、メカニカルな欲求はエレクトーンが全て満たしてくれて、おかげで当時誰もが夢中だったゲーム(ドラクエとかね)に、私は見向きもしませんでした。

だけど、子どもながらにこう思っていたんです。「ピアノは早く始めた方が良い。大人になったら、上手に弾くことが難しくなってしまう」って。当時はCDが主流で(時代を感じる)、ピアノの演奏を聴きながら演奏者のbioを読むと、大体「3歳からピアノを始め〜」とか、「7歳で○○に師事」などと書かれており、自分自身の年齢と比べて、勝手に焦っていたのでした。モーツアルトだって3歳でしたよね、神童認定されたのは。

それで、中学に進学するころ、「もうぎりぎりだ」と思い、意を決してまず母にピアノへの思いを伝え、母は理解してくれて、エレクトーンの先生に想いを話す手伝いをしてくれました。でも、エレクトーンの先生は、

「もったいない。こんなに才能があるのにそれを手放して、新たな楽器を0から始めるなんて。本当にもったいない。許可できない。」

と言いました。母はそれに折れ、私にエレクトーンを続けさせることにしました。私の中で、「自分の意思は尊重されないのだ。」、「もうピアノとの縁はこれで切れてしまったんだ。」と、何かが消えていくのを感じました。それから、ピアノどころか、エレクトーンへの情熱も失って、いい加減なやっつけ仕事でしかエレクトーンに向き合わなくなりました。17歳で、受験を口実に、どんなにも引き止められたけれど、私はエレクトーンを辞めました。

それから20年以上も経った頃、佐賀にお住まいの漁師さんが、50歳からピアノを始め、なんとリストのあの難曲ラ・カンパネラを弾けるようになったというニュースを目にしました。びっくりと感動で涙がポロポロ出て、自分に制限をかけていたのは他でもない自分自身だということに気がつきました。

そして最近、我が家にアップライトピアノを迎え入れました。41歳。もう、すっかり楽譜も読めなくなり、手も動かなくなったけれど、たくさん練習して、憧れだった「エリーゼのために」は、独学で弾けるようになりました。

誰にでも、子どもの頃に叶わなかった夢ってあると思います。被害者意識で生きていると、ついそれを親とか環境のせいにしてしまうけれど、それはただの言い訳。夢は、誰かに叶えてもらうものではなく、大人になった自分自身で叶えるものだって、私は今、胸を張って言うことができます。


↓写真はイメージです。私ではありません。

40歳からの考え方

40歳。この地点に立った時、少しだけ先に、思春期以来の大きな体の変化、更年期が見えてきます(時期には個性あり)。大人だって、不安なものは不安。感情だって大きく揺れて、体調だって揺らいで。でも、思春期の頃よりもたくさんの責任を背負って、平気な顔で動き続けなければならないのですよね。この時期を、優しく楽に過ごす為のヒントは、「考え方」にあります。

0コメント

  • 1000 / 1000