BLOG

生理中に味わう腰の痛みは、出産した時の陣痛の始まりを思い出させます。骨盤がぐわーっと左右に広げられていくような鈍痛。我慢できなくもないけれど、出来るならばうずくまり横になっていたい時があります。それでも今の私たちが生きる世界は、女性たちにまるでそれが起きていないかのように振る舞うことを求めます。機嫌の波を無視して、痛くても機嫌よく、血だらけでも爽やかに、寝込みたくても背筋を伸ばして、いつもと同じパフォーマンスをするようにと。


なぜ?

変ではないでしょうか。

そもそも、なぜ隠さねばならないのでしょうか。

なぜ、そんなことを女性に求めるのでしょうか。

なんだか、ものすごく腹が立ってきました。笑。


考えたのですが、呼び名を変えてみるというのはどうでしょう。

生理でも月経でも月の物でもなく、それを「小さな出産」と呼ぶのです。出産なら隠さなくてもいいし、出産には、女性の体が大変だというイメージがあります。本当の出産は10か月かけて行われるのに対して、小さな出産はほぼ毎月。痛みや不快感なども、ちょうど10分の1くらいかもしれません。


小さな出産にも個性があるから、本当に調子が良い時にはそのまま普通に過ごせばよいし、小さな出産が重い人は、時短したり、休むことが許されると良いのですが。そして、誰かの小さな産休中、その人の仕事をカバーした人は、その分のお給料が上乗せされると良いと思います。


うん、そうだ。決めた決めた!

私が会社を立ち上げたら、そんなしくみでやってみよう。

心身が不調な人に無理をさせて、良いことなんて何にもないと思うから。

子どもたちと将来の夢の話をするのは親あるあるですが、そういえば私はどうだっただろうかと腕を組んで思い返してみたところ、中1の頃に抱いた夢と、それを友達に語った時に、全く理解されなかったあの日のことがフラッシュバックしました。


うわー、なぜでしょう、書こうと思ったら恥ずかしくなってきました。どんな中学生だよって、これを書きながら、薄ら笑っている自分が気持ち悪いです(笑)


私の中1のころの夢。それは、「なんでもできる、なんでもない人」でした。(一回え?って聞き返したくなりますよね。どういうこと?ってね。体が熱いぜ、ハハハハハ!)


その夢のアイデアはたしか、小学生の頃から大好きだった、ムーミン谷シリーズの本からいただいたもの。誰だったか、「ぼくは、なんでもできる、なんでもない人になりたいんだ!」的なことを言ったキャラクターがいまして、私はそのセリフにものすごい感銘を受けたのです。こんなに素晴らしい夢を言語化できるなんて、トーベヤンソンさんって天才なんじゃないか?と痺れて、しばらく動けなくなりました。


子どもの頃から私にとって、「安心」というのがとても価値のあることで、その安心は、主に人からの嫉妬や意地悪によって脅かされると考えていたため、一生目立たずにいたいと望んでいました。「なんでもできる、なんでもない人」とは、世間から隠れているけれど、どこでもそれなりに生きていけるだけのスキルがあり、外国語を操って、世界を自由に駆け巡っている。そんなイメージです。


思い出して、恥ずかしくてキャーっとなった後、今その夢が割とかなっていることに気が付きました。もちろん、私は何でもできる訳ではないし、言葉も日本語以外では英語しか話せないけれど、結構自由に世界を飛び回って、でも目立たず、誰からも知られずに楽しく生きているからです。


そして、このタイミングでその夢を思い出したのは、きっと今が夢の転換期だからなのだろうと思いました。「なんでもできる、なんでもない人」への憧れは永遠に続きますが、これからは自分だけの満足ではなくて、ほんの少しでも世界に良い影響を与えられるような、もう少し具体的で可視化できる夢を加えてみよう、と思うのです。


今、私の胸をときめかず1番の夢は、瞑想的なアートギャラリーを持つこと。そして、人からわざわざ隠れなくても、女性が自由に優しく生きていける世の中に貢献すること。


大きな夢を描いたら、そこへ向かうための階段が現れました。

みなさんの夢はなんですか。



「聞きたいことがあるんだけど、電話してもいい?」と友人からテキストがあり、「いいよ。」と返信するとすぐ電話がかかってきました。彼女はそろそろ1歳になる下の子を、どの保育園に預けるか悩んでいるとのこと。これまでオンラインで出来ていた仕事が、2週間後から通勤に変わることになり、決断までに時間がないそう。「あの保育園は食事内容が心配で、あの保育園はいいんだけど車で20分かかるところにあって、あの保育園は…」と、いつもは割と無口な彼女の話が止まりません。一通り話を聞いた後、

「いいアドバイスがあるよ。それはね、寝ること。下の子、今一番手のかかる時でしょう。寝てないんでしょ。」

と聞くと、

「。。。うん。」

「寝不足の時に判断するのって本当に難しいから。良ければ子どもたち預かるよ。2~3時間ぐっすり寝たらね、起きた時に答えが出ていると思うから。」

と言うと、彼女が眠れないのは、実は子どものことだけではありませんでした。いつもニコニコしている彼女からは想像つかない激しい出来事が続いていて、それらを電話口で1時間は聞きました。ご主人に話しても、「まぁ大丈夫だろう」とか「そんなに気にするな」くらいで、なんの解決にもならなかったそう(笑)私はただ彼女の話を聞いて、一緒に怒ったり悲しんだりしただけなのですが、その晩彼女はぐっすりと眠ることができ、翌朝すぐに保育園を決められたそうです。オンナには、誰かに話を聞いてもらわないとダメな時ってありますよね。

本ブログのタイトルにある、「一番いい選択をする方法」。それは、「質の良い睡眠をたっぷりとった後に選択すること」だと私は考えています。寝ている間に、考えていたごちゃごちゃが脳内で整理されて、起きた時には答えが出ている・・・ということが個人的にも何度もありました。

でも、プレ更年期(35歳から)は思春期と同じく、心がとても傷つきやすい時期。何かあると、それが睡眠にも影響を与えやすいのです。こころがモヤモヤする夜、頭の中がうるさい夜、ありますとも。そんな時、誰かに話を聞いてもらえたら良いですが、私みたいに人に話すのが苦手な人は、運動やお出かけなどをしたり、アロマセラピーを利用したり、メラトニンサプリに一時的にお世話になるのもありかと思います。(残念ですが、お酒は飲まないようにしてください。体が解毒に忙しくて、休めませんから。)

とにかく、寝る。寝ることを頑張る。寝るためにする努力は、心と体に優しいです。

さて、こちらは今、夜9時過ぎ。今宵は、誰もがぐっすりと、安心して眠れる夜でありますように。

アメリカ暮らしもかれこれ9年目になりますが、実は数年間、日本人づきあいをしなかった時期があります。

色々と理由はあるのですが、1つに「いじり」というコミュニケーションがあります。例えば、「年上いじり」みたいなことする人、結構いますよね?私もそういうお笑いとかバラエティ番組とか、いっぱい見て笑ってきました。それも、「若い人(特にオンナ)の方が良い立場にいて、年上を多少馬鹿にしても許される」というプロパガンダなのだと思うのですが、人間誰だって平等に年を取るのだから、今馬鹿にしている側がいずれ馬鹿にされるわけで、結局己の首を絞めるところが、実にバカバカしいですよね。(そっちを笑ってやりたいさ!)

それに、いじりが続けば、それは立派ないじめ。いじりも自虐も、何らかの優越感を満たすための、下品なコミュニケーション手法だと私は思うんです。年齢に限らず、性別や、キャリアとか、育ちとか、実家の太さとか、見た目とか。「自分と相手の関係性に優劣をつけて、いじりやマウントをとることが許されると思っている」人と会わなくてはいけないのは、結構きついものです。

意地悪な心を持つ人と食べるご飯はおいしくない。水もまずい。なんなら、空気だってまずく感じます。

でも40歳を超えた今は、年の功でしょうか。たとえ誰かから失礼なことを言われても、許せるんです。相手の無知と青さを。自分だって、知らずに失礼になってしまうことがあるんだもの。だけれど、「許せるけれども、受け入れない」ということは、とても大事にしています。無理して笑ったり、嘘ついて合わせたりはしない。そうしたら、途端に日本人だけでなく何人とでも、付き合うことが楽になりました。

いじるコミュニケーションに慣れてしまっている人は、一度ぜひ、発言の前に考えてみてほしい。そのいじりで、幸せになる人います?幸せになるのがあなただけなら、あなたはナルシストです。そして、あなたのいじりで人が笑うのは、案外あなたに対する、「こんなこと言えるなんて、この人やばいなー」っていう笑いかもしれませんよ。

私には愛すべき友がいて、私が「彼女のこんなところが好きなんだ」と他の友人に話したら、その人が、「それ、逆にそういうところが苦手だっていう人もいるよね。」というので、はっとしました。

そしてその数日後、また別の友人とディナーをした時、彼女が、「私はどうやら、ボスママ(アメリカにもいます)から嫌われているみたいなの。どうしたら嫌われずに済むのかな。」というので、先の会話のことを思い出しました。それで私はこう言いました。「嫌いという気持ちはボスママの心の中にあるものだから、それはどうにもできないよね。私には、あなたが人から嫌われる理由など、一つも思い浮かばないよ。だから誇らしくそのままでいて。ボスママに好かれようと変わらなくていい。きっと、ボスママから好かれるようなタイプの人って、私や、あなたの今の友達は、好きではないと思う。なんなら、変わるべきは、他の人にあなたの悪口を言いふらしてあなたを孤独に仕向けるような、ボスママの方だよね。」

誰かから嫌われると、心がチクチク痛むものですが、その誰かが嫌う部分を、逆にものすごく好きだと言ってくれる大切な人たちがいること。忘れないで感謝して生きていきたいものですね。



大人になるにつれて、友だちのありがたさが、より身に沁みます。

プレ更年期から更年期世代の女性は、健康診断で「悪玉コレステロールの値が高い」と言われることが増えると思います。もちろん人によって、食生活やライフスタイルなど要因は様々でしょうが、可能性の一つとして、女性ホルモンの減少があります。

私は海外に暮らしているけれども、食生活は和食中心で小食を心がけ、それなりに体も動かしているし、ストレスマネージメントもしているつもり。タバコなんて吸ったこともないし、お酒もあまり飲まず、部屋には健康関係の本が山積みで、良く聴くポッドキャストは海外のお医者さんの番組が中心。血液検査を受けた時には、インターメディエイトファスティングを実践していたから、いつもより自信満々でした。それでも、「コレステロール値が前回よりも高いので気を付けましょう。」と言われてしまいます。気を付けているっちゅうねん。これ以上どうしたらいいっていうのよ。いつもなら、そこから色々ジタバタするのですが、今回ばかりは、くじけてしまいそうになりました。

それで、ふとある友人のことを思い出し、「久しぶりにご飯でもどう?」とテキストしたら、「OMG(オーマイゴッドの略)!!!あなたのことを昨日夢で見たの!」と言うではありませんか。(これってきっと、偶然ではなく、脳なのか腸なのか、無意識のところできっと、「今この人に会ってごらん。」と、必要な人を思い浮かばせて、引き寄せ合ったのだと思うんですよね。)それで、彼女と少しおしゃべりする中で、コレステロールのことを話したら、「私も同じことお医者さんから言われた!」というではないですか。私よりもさらに、美容にも健康にも、オタクというほど気遣っている美しい友人。その彼女でさえそうなのだから、私だって高くて当たり前だよねと、一気にからっと晴れた気持ちになれました。

ただ、「私も!」と言い合える同世代の仲間がいるだけで。このホルモンの波乗りは、不思議とずっと気楽になるものです。

祝日で月曜日がお休みだったので、週末、プールがあるホテルに子どもたちとステイケーションしました。子どもたちはプールもレストランもショッピング(モールが隣にあるホテルでした)も、ものすごく楽しかったそうです。ショッピングモールで子どもたちから日記帳とペンを買ってほしいと頼まれたのですが、二人が夜になって、ホテルや町の名前を書いて、絶対忘れたくないと言っていたのがかわいかったです。そんなに遠くに出かけたわけでもないのに、外遊びなどができない厳しい冬の季節には、こうしたことが特別に楽しく感じられるのでしょう。

翌朝、いつもはなかなか朝起きない娘が、朝6時にパチッと目を覚まして、私たちを起こそうとします。「朝ごはんにおいしいパンケーキを食べて、それからプールに行きたいの!」と。全身で楽しみのエネルギーを発する娘がかわいすぎて、みんな眠たかったけれど、頑張って起きました。

いつもの家に戻り朝を迎えると、”ちゃーんと”二人とも起きてきません。ただ、寒い朝だったので、二人の好物のカレーうどんを仕込んでいたところ、「いい匂いがする」と起きてきました。

人は、楽しみがあれば、目覚まし時計などなく起きられるのですよね。私はここのところ、むしろ寝ていることが喜びになっていることに気が付きました。子どもたちを見習って、小さなことを大きな楽しみにして、朝起きる喜びを感じていきたいと思います。

私は子どもの頃から、古代ミステリーのようなお話が好きなんです。それで、知り合いからYoutuberのナオキマンさんという方を教えてもらいまして、あまりにもセンスある面白い動画を作られるので、昨日、とうとうオンラインサロンに入会してしまいました。オンラインサロンでは、Youtubeでは割愛されている対談を視聴することができるからです。

そして早速、画家で作家のはせくらみゆきさんとの対談を視聴しました(すごすぎて、脳内整理のために、途中何度か睡眠を入れました。私は勉強でも読書でも、何かたくさんのものを頭にインプットした後、一度短く寝るんです。)

その中で、はせくらさんのご次男の体内記憶の話を伺って、ビビビッと思い出したことがあったのです。はせくらさんのご次男は、2歳の頃、生まれる前は雲の上の赤ちゃん畑のようなところにいたという記憶を話してくれたそうです。

それで、思い出したんです。私は娘を出産して初めて腕に抱いたときに、なんと、雲の上にたくさんの赤ちゃんがいるビジョンを見ました。赤ちゃん畑みたいだ、と思いました。それで、「どんなにたくさんの赤ちゃんがいても、どんなに顔が似ていたとしても、その中からこの子を探して選ぶ自信がある。」って思ったのです。よく赤ちゃんがお母さんを選ぶと言いますが、娘は私が選んだのだ、と思いました。出産後のくたくたの時でしたし、幻覚でも妄想でも、なんと言われても構わないのですが、本当に、そうだったのです。

私はよく、娘に、生きているだけでかわいいと言います。本当にそう思うからです。世間の美の基準などどうでもよく、彼女が生きているということが、まるごとかわいくて、うれしいのです。息子ももちろん、とんでもなくかわいいのですが、彼に対しては、もう少し尊敬の気持ちが強いかもしれません。彼は、私よりもずっと、徳の高い魂の持ち主だと思います。(ちなみに息子の場合は、お産の最中に、イルカのビジョンを見ました。)

人間とはつい、生まれてきた意味を知りたがるものですが、もしかすると物質に魂が宿る時というのは、ただただ純粋で直感的なものなのかもしれませんね。その時その瞬間、生まれたいと思った(生まれてほしいと望んだ)、以上!なのかもしれません。さて、家事をしながら、もう少し動画の続きを見ることとします。みなさまごきげんよう。

一つ前のブログで、「与え過ぎNG」のお話をしましたが、今回は、「減らしたい」ものとして、アルコールについてのお話をしたいと思います。

はい、わかります。お好きな方の気持ち。ワインやウイスキーが趣味、癒しという方も少なくないでしょう。仕事の後の一杯のおいしさも、グラスにシュワシュワと注がれるシャンパンのときめきも、「飲もうよ!」と仲間と声かけあう時のわくわくも、静かなラウンジやバーの雰囲気も、ワイナリーへの旅も、ブリュワリーでの飲み比べも、嫌な人といるのにかわいく見えてしまうマジックも、私だって、私だって、大好きでしたからー!!(エコー)

色々な専門家の話も伺ったのですが、健康や環境のために食事法を変える時、アルコールとチーズだけはなかなかあきらめがつかない、という人が多いそうです。それは、アルコールもチーズもどちらにも、なぜか魂に訴えかけるものがあり、幸福感を与えてくれる作用があるからだそう。

でも、魂とは裏腹に、体にとっては、アルコールはたとえ少量でも害であるということが、最近カナダのビクトリア大学の研究で発表されたのです。これまでの、少量ならメリットあり説は完全に否定されました。これには大変なショックを覚えました。

私はこの研究について知る少し間に、ビールを飲むと肌がかゆくなることが続き、またお酒を飲んだ日には夜中に目を覚ましてしまうことから、家でほとんど飲まなくなっていました。(どうしても飲みたいときのために、ノンアルコールビールや、炭酸水を常備しています。)このことにより、体重が減り、肌の調子も良くなり、夜もぐっすり眠れるようになったので、アルコールを辞めるメリットというのは確かにあるように思います。

ただ、お酒好きの友人と会う時や、お祝い事で乾杯する機会には、罪悪感なく飲むようにしています(飲みすぎないように気を付けながら)。いわゆるソーシャル・ドリンカーというやつです。

普段飲まないおかげか、たまにお酒を飲んだ時、体中が「毒が来たぞー!」と張り切って働いて、次の日にはきちんとデトックスされる気がします。翌日いつも以上に排泄があって、不思議と体がすっきりするのです。科学者にはこれも否定されてしまうでしょうが、「たまにのあえての毒」は、ホメオパシーのように、自己治癒力に働きかけるトレーニングとなるのでは、と今のところ考えています。一人ひとりの体は違いますので、これが正解とは限りません。皆さんそれぞれに、自分だけの答えがあるはずです。私も、変わっていく体や心と対話しながら、今後も探求し続けていきます。

大切にしている観葉植物の葉先に、茶色く枯れたような箇所が見え始めました。植物の状態や病気を診断してくれるアプリで見てもらったところ、原因は、「水の与え過ぎ」でした。

ここのところ空気の乾燥がひどいので、水の量を増やしたのですが、それが良くなかったようです。

例え必要なものでも、良いものでも。与え過ぎは相手にとっては毒。いつも私に元気をくれる植物に心の底から謝って、枯れた葉っぱを取り除き、土が乾くよう陽に当てながら、「それは植物に限らず、人間にも言えることだな。」と思いました。

食べ過ぎや飲み過ぎは病気の元だし、労力や時間、金銭、物質的なもの、愛情、優しさ・・・それらも過剰に与え過ぎれば、不健康な人間関係の元となりますものね。日常の中には、大きな学びがたくさん転がっていますね。


ニューヨーク市からニュージャージーに越して、3年が経ちました。

この「たった」3年間でも、自然の中に暮らしていると、気候変動をリアルに感じます。まず、雪が降らなくなりました。3年前に雪かきした回数を10とすると、2年前は4、1年前は1・・・そのくらいの体感で雪が減っています。3年前までは家から車で30分のスキー場に行けば良い雪があったのに、2年前からは2時間以上北上した山まで行かねば十分な雪がありませんでした。去年はとうとう、その山にも雪が足りず、さらに北上してバーモント州まで滑りに行かねばならなくなりました。

その代わり、年間を通じて、とんでもない雨が降るのです。つい昨日も、ニュージャージー州に非常事態宣言が出されるほどの大雨となりました。あちこちで、浸水や雨漏りの被害を耳にします。どこの家も、ここまでの雨が降るようには作られていないのです。警報がでるほどの大雨となる頻度を鑑みると、「これは異常ではなく、近い将来、通常となる」のだろうと思います。(人間中心の利己的なライフスタイルが、地球に大きな負担をかけた結果なのでしょう。)

そのため、今後アメリカでは、誰もが憧れる水辺の生活(美しいビーチの傍にある豪邸など)の価値が見直されることになると思います。「いかに災害に強いか」ということが、より一層住宅の価値や価格に影響を及ぼすように思います。

日本の芸能界でも、「昔は良かったものが、今は許されなくなる」ような著しい展開が起きているようですが、アメリカでも、これまではウケてきた、ジョークという名の「いじり」が、「人を馬鹿にしたり、不快にすることの、何が面白いの?」と、時代遅れになっているのを感じます。今は大きな価値や生き方の変革、刷新、新陳代謝の時です。ものすごいスピードで、人や動物や植物や自然...それらを平気で傷つけるような考えや行動が淘汰されていく時代となって、それはもう、元には戻らないでしょう。

耳の痛い話。40を過ぎた私たちの経験ポケットの中には、必ず何か「今の時代にはもう合わない/通用しない」古いものが入っているはずです。あの時には新しくて今は古いものたちを、時々点検して、潔く捨てていかねばなりませんね。

2024年の幕開けと共に、震災や飛行機事故など、大変なことが続きましたね。亡くなられた方やそのご家族、被災された方々のことを思うと、まだ晴れ晴れと新年を迎える気持ちになれずにいます。傷ついたのは、動物も自然も同じことと思います。今は少しばかりの募金や祈ることしかできないけれど、天国へ旅立った命も、この世にある命も、みんなが心地よく安心して過ごすことができますように。

さて、新しい年を迎えて、実は私は焦っていました。何か動き出したいと、あれも!これも!と、思いつくことに、片っ端から手を付けそうな勢いでいました。大学時代からの友人に話を聞いてもらうと、「無価値観」というキーワードが出てきました。そう、私は「何もしていない自分には価値がない」と思い、焦っていたのです。頭では、「無価値観など古い概念。生きているだけで誰もが価値がある。」と分かってはいながら、ハラに落とし込むことができていませんでした。人との何気ない会話の中に、大きな気づきがあるものです。

そこで、今一度出発点に立ち返ることにしました。「なんでもいいから動きたい」という無価値観から来る焦りを、「私であることを大切にできる分野で、おばあちゃんになっても、無理なく、楽しく、クリエイティブに働きたい」という望みに書き換えました。

すると、ゾーンに入ったように、長期的な大きな夢、またそこに向かうための、短期的な目標と、中期的な目標が、ほんの1~2分で出来上がったのです。具体的な夢については、長くなってしまうので、また別の機会に書くとします。

もし、私と同じように、新年何かしたいと思っている方がいらしたら、「出発点を整える」をお勧めします。