いじりは許すが受け入れない

アメリカ暮らしもかれこれ9年目になりますが、実は数年間、日本人づきあいをしなかった時期があります。

色々と理由はあるのですが、1つに「いじり」というコミュニケーションがあります。例えば、「年上いじり」みたいなことする人、結構いますよね?私もそういうお笑いとかバラエティ番組とか、いっぱい見て笑ってきました。それも、「若い人(特にオンナ)の方が良い立場にいて、年上を多少馬鹿にしても許される」というプロパガンダなのだと思うのですが、人間誰だって平等に年を取るのだから、今馬鹿にしている側がいずれ馬鹿にされるわけで、結局己の首を絞めるところが、実にバカバカしいですよね。(そっちを笑ってやりたいさ!)

それに、いじりが続けば、それは立派ないじめ。いじりも自虐も、何らかの優越感を満たすための、下品なコミュニケーション手法だと私は思うんです。年齢に限らず、性別や、キャリアとか、育ちとか、実家の太さとか、見た目とか。「自分と相手の関係性に優劣をつけて、いじりやマウントをとることが許されると思っている」人と会わなくてはいけないのは、結構きついものです。

意地悪な心を持つ人と食べるご飯はおいしくない。水もまずい。なんなら、空気だってまずく感じます。

でも40歳を超えた今は、年の功でしょうか。たとえ誰かから失礼なことを言われても、許せるんです。相手の無知と青さを。自分だって、知らずに失礼になってしまうことがあるんだもの。だけれど、「許せるけれども、受け入れない」ということは、とても大事にしています。無理して笑ったり、嘘ついて合わせたりはしない。そうしたら、途端に日本人だけでなく何人とでも、付き合うことが楽になりました。

いじるコミュニケーションに慣れてしまっている人は、一度ぜひ、発言の前に考えてみてほしい。そのいじりで、幸せになる人います?幸せになるのがあなただけなら、あなたはナルシストです。そして、あなたのいじりで人が笑うのは、案外あなたに対する、「こんなこと言えるなんて、この人やばいなー」っていう笑いかもしれませんよ。

40歳からの考え方

40歳。この地点に立った時、少しだけ先に、思春期以来の大きな体の変化、更年期が見えてきます(時期には個性あり)。大人だって、不安なものは不安。感情だって大きく揺れて、体調だって揺らいで。でも、思春期の頃よりもたくさんの責任を背負って、平気な顔で動き続けなければならないのですよね。この時期を、優しく楽に過ごす為のヒントは、「考え方」にあります。

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