嘘かもしれない②
『サピエンス全史』でお馴染みのユヴァル・ノア・ハラリさんは、様々な人類がいた中で、ホモサピエンスだけが、フィクションを生み出し、皆でそのフィクションを共有する力を持っていた為に競争に勝ち残った、とおっしゃっていますよね。
フィクションとは例えば、実際はただの紙切れなのに・・・
「この紙には、ものすごい価値があることにします!」
と誰かが決めて、皆が「そうしようそうしよう」と信じることに同意したからお札には価値があることなどがそれです。でも、実態は紙ですよね!!!!?????
人が老いることを嫌がるのも、若い方が美しいとか、死が悪いことであるというフィクションを私たちが信じているからなのではないでしょうか。
住む国が違えば、美人の定義が違うのも、その土地その土地で、「こういう特徴を美人と呼びます!」と誰かが決めて、それに皆が同意したからそうなっているだけであって、所変わればあちらの美人はこちらの不美人となる訳です。
どうせ信じるのなら、誰かが作った嘘ではなく、自分にとっての真実をフィクションとして信じませんか。
私は、こう信じているんです。
○老いるとは、様々な経験体験を積み、少しだけ賢くなった上で、再び子どもに戻っていくプロセスのこと。
○赤ちゃんがただいるだけで価値があるように、誰にだって、ただいるだけで、同じくらいの価値がある。
○死後の世界は、赤ちゃんがやってくる前の世界と同じ。
○生が祝福なら、死もまた祝福。
○私たちは元々同じ大きな命から、分離して地球にやって来て、様々な経験をして、再び大きな命に持ち帰って成長を続けている。
○物質である限り、永遠に同じ姿でいられるものなどこの世に一つもない。全てが老いていくのだから、老いをネガティブに捉えるのはとてもとてもおかしな話!
まだまだあるけれど、ここまでにいたしましょう。
後1回だけ、嘘かもしれない話しについて、次のブログで語らせてくださいね。
0コメント