人間の問題
張り裂けるような胸の痛みというのを、ここのところ、ずーっと感じています。
国家の為にと、戦ったり、亡くなったり、ケガをしたり、恐い思いをしている人たちは、国家なんてものがなければ、こんなことにはならないのではないかって。
今までだって、戦争なんてものは、ほんの一部の人たちが、民意を無視して、一般人を脅して巻き込んできたパワーゲームですよね。
ロシアが悪くてウクライナがかわいそうだと、どちらかが良い悪いという印象をメディアは作ろうと印象操作するけれど、ロシア兵だって喜んで戦っている人なんていないと思うんです。
ロシアの人々を、ひとくくりにして批判するようなことはあってはならないし、今回こうなるようにけしかけた、西欧諸国の一部の人たちについても忘れてはなりません。
白黒はっきりつけようとしたり、極端な意見というのは、「こちらだけが正しい」と信じて疑わない姿勢である点において、必ず敵味方を産んでしまいます。
だから、メディアから情報を得ようとする時、また、自分の真実について他者に語る時には、戦う方向へと誘導されないよう/しないよう、本当に注意深くあらねばならないと思います。
ところで、昨日、カーネギーホールへ、ウィーンフィルの演奏を聴きにいきました。(事前に、ロシア人の指揮者が、プーチンと親しいと言うことが理由なのか、降板することが発表されました。)
本来、楽器ってこんな音を奏でるものなのか!と驚きました。作曲家がいたころの世界や、表現したかった景色や感情が見えてくるような、この人たちは化け物なのでは?と思えるほどのすごい演奏でした。
そういうものを目の当たりにすると、つい自分の中に、「この人たちはすごくて、私はなんでもない」という構図が作られます。
でも、昨晩は不思議と、ふと、
「ここにいる、とても同じ人間とは思えないような人たちも、ゴミを出したりするんだよな。そしてそのゴミが、処理しきれずに外国の島へ運ばれるのかもしれないな。」
・・・なぜかそういう考えがやってきました。
人間である限り、誰もが等しく、素晴らしくもあれば、愚かにもなれるのですよね。
誰かに力を受け渡さないこと。
誰の上にも立とうとしないこと。
誰かが自分よりすごく見える時や、誰かが自分の基準でダメに見える時、思い出さなければなりませんね。
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