50代への憧れ

10代の後半から、50代に憧れていました。

何を言っている??とお思いになるかもしれませんが、まぁ、落ち着いて聞いて下さい。

10代の後半から、美容院にいる間の雑誌時間が楽しみでした。

ファッション誌って重たくて、1冊1000円弱はするし、資源ゴミに出すのも大変。特に若い頃は何冊も買えるものではなかったから、あらゆる雑誌が読み放題の美容院は、私の大好きな場所の一つでした。(今ではコロナで雑誌置いていないところも多いと聞きますが、どうなんだろう?ちなみにニューヨークの美容院には、もともと雑誌を置かないサロンが多いです。)

美容院へ行くと、美容師さんやアシスタントの方が、私の年齢や好みを察した雑誌を用意して下さるんですが、私は10代から、50代以上のファッション誌や、海外のスナップ誌、ライフスタイル誌のほうが好みでした。気遣いや好意で用意していただいたものには一通り目を通し、その後は「意外!」なんて言われながらも、そういったものをおかわりでリクエストさせてもらっていました。

なぜ、50代以上のファッション誌が好きだったかと言うと、「抜けて」いたから。

例えば10代20代の雑誌って、確実に「男子/男性からの目線」とか「モテ♡の意識」に縛られているものが多かったのですよ(今はどうなんだろう)。だから、ファッションが、「誰かを惹き付ける為に媚びている」ように思えて。誰の者にもなりたくない、あまのじゃくな私には、ちょっと厳しいものがあったんです。

で、30代になると分かれるんですね。結婚を意識して、「痛くなく、20代の若さを保ちながら異性にウケる」キャリア系ファッションか、「きれいなママ」ファッションか。そのプレッシャーに、うううっとなり。

40代からは若い世界に未練を残しつつも少し楽になり始め、50代から抜けていくんです。完全に、私個人の感性・感覚なんですけれども。50歳からは、ファッションと向き合う視点が自分だけでよくなる分、なんだかやっと、本当にオシャレだなぁと思って。

でも、そこに並ぶ服やバッグや靴は、目玉が飛び出るほどお高くて。全身トータル何十万円よ!みたいな。それに、気に入ったコーディネートを真似したくて、母の服を借りて着てみるも、若いうちだと全然似合わないんですね。人間的な貫禄が伴わないと、完全に浮いてしまうのだと思いました。

で、今。私は41歳。視点だけは生意気にも「抜けて」いるものの、人間的な貫禄なんてないどころか、まだまだ怯えながら生きています。失敗だけは順調に重ねているけれど、洗練はされていない自分に「泥だんごみたい」とため息をつき。自信の無さも若い頃から変わらずで、なんだか笑ってしまいます。笑えるところは、若い頃よりもいいかな。

いきなりかっこ良くとは、中身が伴わない分いかない訳で。人間的な成長にはやっぱりチャレンジが必要だし、本当にオシャレになるには、他の誰かになろうとせず、自分を丸ごと見つめて受け入れる強さが必要な訳で。

少しずつ少しずつ、子どもたちに「年を重ねるって素敵だ」と思ってもらえるような背中、見せられるように。頑張るぞ、泥だんご!

40歳からの考え方

40歳。この地点に立った時、少しだけ先に、思春期以来の大きな体の変化、更年期が見えてきます(時期には個性あり)。大人だって、不安なものは不安。感情だって大きく揺れて、体調だって揺らいで。でも、思春期の頃よりもたくさんの責任を背負って、平気な顔で動き続けなければならないのですよね。この時期を、優しく楽に過ごす為のヒントは、「考え方」にあります。

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